昨日、
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あじくんの強制給仕をやめた。

考えて。
迷って。
悩んで。
腹をくくって先生と相談して決めた。
朝9時に10mlリキッド食を入れたのが最後。
もう飲ませない。
あとはもう、自然の流れに任せる。

最初は受け入れていた強制給仕も、いつからか一生懸命抵抗するようになっていたあじくん。
本当は最初からすごく嫌だったんだと思われる。
でも、あじくんは辛抱強いよいこ。
耐えて耐えて耐えてきたけれど、限界が来て嫌がるようになった。
倒れてから1週間は、まだ回復の望みも捨てていなかったから嫌がるあじくんには申し訳ないけど「頑張れ」と思って続けてきた。
4時間おきに1日6回。
もはや胃ろうチューブ状態。
おかげで体重減少はほぼなく、最低限の体力はキープしたまま1週間を過ごせた。
でも、肝臓の数値は悪化したし、黄疸はひどくなったし、食欲は回復しなかった。

18歳と半年。
手術に耐える体力はない。
全身麻酔だってハイリスクな年齢だ。
今できる治療はすべてして、体力だってキープして、それでも悪化した病状。
ここから回復する可能性は極めて低い。
話す先生の表情は険しい。
「体力さえ落とさなければ何とかなるんじゃないか」と思っていた強制給仕が意味を失った。

はなは、今まで何匹も看取ってきた中で悟ったことがひとつある。
「穏やかに死なせる」にも技術がいるということだ。
もちろん必ずしもコントロールできるなんてことは無理だ。
そんな神様みたいな能力はきっと誰にもない。
でも、可能性をあげることはきっとできる。
そもそも、はなの死生観は単純明快だ。
「生きることは食べること」。
「苦痛の生より穏やかな死」。
たくさんのチューブにつながれて身動き一つとれない状態でも本人の意思とは裏腹に生かされ続けるなんてはなは嫌だ。
もちろん、死生観は人の数だけ答えがあるからこれははなの価値観だ。
はなは、あじくんをできるだけ穏やかに逝かせてやりたい。
少なくとも、嫌なこと、しんどいこと、痛いことは取り除いてやりたい。
あじくんはたくさん頑張って生きていた。
もうしたいことだけしてもいいはずだ。
それが例え残りの寿命を減らすことになっても。

強制給仕をやめても、あじくんが食べたいと思うなら食べることはできる。
日に何度かはあじくんの好物を見せてみるつもりだし、いつものごはんもお水もある。
食べる食べないはすべてあじくんの意思ひとつだ。
病気を治す積極的な治療はしないけれど、吐き気止めや痛み止め、とまりがちなお腹の中を動かす薬や胆管を通す薬のような体調を整える薬は使用する。
それだけしても食欲が戻らない、食べられないなら、それがあじくんの現状なんだと思う。
悲しいけれど、受け入れるしかない。

あじくんは今、猫部屋のマカロンハウスの中で眠っている。
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朝方1階におりて太陽の光を浴びていたけど帰ってきたらしい。
後ろ足の踏ん張りはだいぶきかなくなっているけれど、まだ階段をのぼりおりする。
何度かいつものごはんをのぞき込んでる姿を見かけたので、
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あじくんのお気に入りだったゴハンを出してやった。
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パウチは上っ面の水分を少し舐め、つぶしたマグロの刺身はほんのひとかけら口にした。

残された時間が、どうかあじくんにとって穏やかなものでありますように。
はなにはもう、それを祈ることしかできない。