はなにとっての古い思い出話です。亡くなるまでの記録なので、苦手な方は【閲覧注意】。
今も使っている、猫の書類をまとめているファイル。
その1番奥にある、折りたたまれた1枚の便箋。
黄色ベースにティンカーベルが描かれた、ごくごく普通の可愛らしいその便箋には、ねこもりに出てくることのなかった長男ももんちの最期のすべてが書かれている。
たった1枚に書ききれてしまうだけの最期。
時間にして、わずか2日半。
ももんちは、あまりにも急に、あまりにも壮絶に、この世を去った。
はなは覚えていることに耐えられず、走り書いた便箋に自分の記憶を託した。
忘れたふりをすることでしか、その時間をこえることができなかった。
しているつもりだった覚悟は、あまりにも甘かった。

ももんちは、うーと同腹の兄弟。
オッドアイに真っ白な毛、そして、うーよりはるかに立派な体格とはなへの愛に溢れる猫だった。

子供のころから泌尿器の病気をよくしたももんち。
結石が詰まったことも1度や2度じゃない。
体質だからしょうがないというその症状を、自動給水器での水分摂取量増加や療法食や早めの通院でだましだましやりすごしながら、腎臓や膀胱を気にする生活をずっと送っていた。
もし、大きな病気をするなら、間違いなく腎臓病だと思っていた。
それが間違いだったと気づいたのは、2013年6月23日早朝のことだった。
その日、朝までゲームをしていたはなとまーちゃんは、いつもより早い朝5時に猫達にゴハンをあげた。
みんなが普段通りゴハンを食べるのを見てから、当時寝室だった2階へ上がっていった。
なんにも変わりない、いつもの風景だった。
ゆるゆるとまどろみ始めた1時間後。
聞こえてきた声に飛び起きた。
誰かが叫んでいる。
1階にかけ下りた。
リビングの片隅に、猫の輪ができていた。
その中心で、下半身を引きずったももんちが、のたうち回りながら唸っていた。
真っ先に時間を見た。
朝6時。
やってる病院は、大病院の時間外しかない。
まーちゃんは一生懸命ももんちの背中を撫でていた。
ももんちの体に触る。
半狂乱のももんちは、腕だけでどこかへ行こうと這いずっているが、腰から下の下半身は指先ひとつ動いていない。
全身の毛穴から汗が噴き出すのがわかった。
テーブルの上に置きっぱなしだったipadで、検索をかける。
「猫」「下半身」「動かない」「のたうち回る」・・・。
目につくワードを片っ端から入れてみた。
―心筋症末期の発作―
―助からない―
―のりこえても6カ月以内に再発して100%死ぬ―
信じないといえる強さや無謀さは、はなにはなかった。
そこに書かれた症状は、あまりにも目の前のももんちに酷似していた。
ももんちは、誰も気づいてもらえないまま心筋症を抱え、進行させ、そして今、最後の発作を起こした。
抱き上げた下半身は、まるで作り物のように垂れ下がったままだった。
病院と連絡がついてキャリーを持ってくると、ももんちは上半身しか動かない体で必死にキャリーの中に入ろうとした。
今までの人生で病院に行くことが多かったももんち。
けして好きにはならないけど、この箱に入ると体を楽にしてもらえることはわかってたももんち。
それは何よりも雄弁な「助けて」というももんちの叫びだった。
病院に入ったのは、6時45分。
ももんちを先生に預けて、誰もいない診察室で検査結果を待つ。
自分の動悸が脳内に響いていた。
そこで少し、まーちゃんと話をした。
もし、治らないんであればももんちはうちに連れて帰りたい。
最期はうちで迎えさせてやりたい、と。
その時には、これがただの脱臼であるとか、ケガであるとか、そんな楽観的な可能性がもうありえないことはわかっていた。
最期をどうすべきか、焦点はそれだけだった。
何故と言われたら説明はできないけど、それくらいももんちの姿は尋常ではなかったんだと思う。
それに、もし生きられたとしても、この状態が改善しないのであれば生き地獄以外の何物でもないだろう。
数少ない選択肢の中の最善を、せめて探してあげたかった。
先生が帰ってきたとき、ももんちはもう処置室に入れられてるということで一緒ではなかった。
酸素がうまく吸えないので、酸素室に入れてもらったらしい。
はなたちは、そのまま診察室でレントゲンを見せられた。
きれいなハート型をした白いかげ。
それが、ももんちの心臓だった。
肥大性心筋症。
末期。
血栓が下半身の太い血管に飛んで詰まったことで麻痺が起きてる。
この状態まで来ていると、たとえ今回治ったとしても6カ月以内に再発して死ぬ。
説明は、すべて予想通り。
聞いているつもりでも、言葉は頭を滑っていく。
とりあえず、通常の診察時間が始まってからもう1度来てほしいといわれて、ももんちを置いて帰宅した。
車の中で、涙が止まらなかった。
午前中に1度病院から「3万円の薬を使いたい」という電話がきた。
3万円の薬は、本当に意味があるのか迷いはあったけどお願いすることにした。
その薬は、効果が出るなら、3日以内。
それを過ぎたら、もう薬は効かなかったということで、ほかに打つ手はないということになるらしい。
3日間だけの最期の賭け。
あの状態からでは…と思う気持ちに、もしかしたらが勝利した。
その後6カ月以内に再発したとしても、最後の時間を作れるかもしれない。
その誘惑に、負けた。
同日夕方。
寝ようとして失敗し、ネットをしては落ち込んだ時間を経て、もう1度病院へ向かう。
酸素室からでれないももんちと会うことはできないので、先生から話を聞くのみの面会。
状態は変わらない、薬の効果もまだ出てないと言われた。
希望の持てる話は何ひとつなかった。
こういう状態は、恐ろしいほどの激痛で、肺に水が溜まってしまった今は呼吸も苦しく、もはやいつ何が起こってもおかしくはないんだと言われた。
はながぽろりと出した安楽死の単語に「反対はしません」と言った先生を見て、それがもうひとつの選択肢として存在してることを知った。
帰りの車で、また泣いた。
日付が変わった2013年6月24日。
うつらうつらするだけで、結局眠ることはできなかった。
入院患畜の状態を電話で確認できるのが午後1時からなので、1分前から携帯をスタンバイして電話をした。
先生は、相変わらず言いにくそうに変化なし、と教えてくれた。
足は相変わらず動かない。
苦しそうに酸素室のすみで小さくなっている、と。
もう、はなの頭は、連れ帰るという選択肢でいっぱいだった。
家に連れて帰りたいと、直訴した。
わずかな命だとしても、あの子が生きてきた家で死なせてやりたいと。
そのためにはどうすればいいのか教えてくれと頼んだ。
先生は、最低でも酸素室が必要だと言った。
自発呼吸さえ怪しい状態で、通常の酸素濃度の世界に出せば、すぐ息ができなくなってしまう。
病院ではICUで酸素室に入ってるが、それに代わるものが必要だと。
とりあえず、薬の期限の3日まではあと1日あるから、また明日の状態を見て決めましょうと電話は終わった。
電話を切ったその手で、はなは酸素室をレンタルしている業者に連絡した。
昨日から、めぼしはつけていたところだ。
もう明日状況を確認次第いつでも動けるようにしておきたい。
レンタル業者さんは、事情を話すと、その日の夕方に届けてくれた。
この時の親切なおっさんは、その後ぴっくんの時にもうちに来てくれて、世話になることになる。
世の中は案外狭い。
その夜。
まともに寝てない状態が続いて朦朧としている自覚はあったが、何度もももんちの幻覚を見た。
病院も、何かあったら夜中でも連絡するといってくれてはいたが、ももんちの幻想を見るたび、霊になって会いに来てくれたのかと跳ね起きた。
霊になって会いに来てくれたももんちを絶対に見逃すものかと思っていた。
この頃、もう、ももんちが死んでしまうんだという事実は、自分の中に確固たる現実になっていたんだと思う。
今更後悔しても、ももんちの心臓は戻らない。
ここに至るまでにきっと幾日も幾月も幾年も時間はあったのに。
誰も気づかなかった。
はなも気づかなかった。
だから今、ももんちは死にかけている。
受け取る相手のない謝罪を何度もつぶやいては泣いた。
明日、ももんちを連れて帰ろう。
酸素室は用意した。
酸素室を冷やすアイスノンも大量に凍ってる。
家でどれだけ生きられるかわからない。
1日かもしれないし、1時間かもしれない。
それでも、あの甘ったれはきっと家に帰りたいと思ってる。
はなが生きてるあいつに会いたいと思ってる。
神様、あと1日でいいから、ももんちに時間をください。
2013年6月25日。
午後1時を待って病院にかけるも、先生が診察中とのことで折り返しを待つ。
その時点ではなの準備は万端。
あと鍵さえしめれば出かけられる状態で、連れ帰るシミュレーションをして時間をつぶす。
気持ちは、早くももんちに会いたい思いで溢れていた。
電話がかかってきたのは午後1時半。
先生は、状態がよくないことと薬はダメだったことと1度来院してほしいことをはなに告げた。
はなは、そのままももんちを連れて帰りたいと答えた。
酸素室はもう用意している。
部屋も冷やしてあるし、アイスノンも凍ってる。
私自身今すぐ出れる、と伝えると、じゃあそのまま1度来院して下さい、という話になった。
病院までは車で30分かからない程度。
いるかどうかわからないが、2度手間になるのは嫌なのでキャリーを持って、はなは家を出た。
同日午後1時45分。
運転中のはなの携帯電話が鳴った。
着信者を見て、全身がすべてを悟った。
「ももちゃんの容体が急変しました。できるだけ急いで病院に来てください」
同日午後1時50分。
病院到着。
自動ドアさえ待ちきれず受付に駆け込んだ。
はなが受付嬢に名乗っている奥で、先生に運ばれていく白い体が見えた。
待ってた間は、わずか5分程度だと思う。
でも、奥歯が震え、指先が震え、握る自分の手が温度を失っていた。
こらえた涙が、鼻の奥で痛みに変わった。
呼ばれて入った診察室では、真っ白い毛を真っ赤に染めたももんちが、仰向けで呼吸器を取り付けられ心臓マッサージを受けていた。
さっき突然急変した。
今は目も見えない、自発呼吸もできない。
でも耳はもしかして聞こえてるかもしれない。
一生懸命心臓マッサージを続けながらつないでくれる先生の言葉に返事はできなかった。
薄く開いたももんちの目は、もうどこも見ていない。
口の周りは血まみれだ。
先生の白衣も、天井にも、その赤は飛んでいた。
2日間会わなかっただけなのに、痩せたとわかる。
近づいて触れると、その体はもう少しかたくなりかけてる気がした。
柔らかい毛の下の体は、いままさに死にゆく者の体だった。
「ももんち、遅くなってごめんね。
迎えに来たよ。
お家に帰ろう」
聞こえていたらいいなと思った。
そっと離れて、頭を下げた。
「先生、もういいです。ありがとうございました」
最後は、声にならなかった。
30分後霊安室にて。
血をきれいに拭いてもらって、可愛い段ボール棺桶に入れてもらったももんちと、改めてご対面。
点滴跡やエコーの跡、体のそこら中に戦った名残があった。
どんどん体温のなくなる背中を撫でていたら、思わずこぼれた言葉。
「ごめんね」
何が正解だっただろう。
はなはどうすればよかったんだろう。
涙の理由に後悔の割合が多くて、痛い。
まーちゃんと決めたのは、共同墓地に埋葬すること。
幸いうちの町は、動物用の共同墓地がしっかりしていて、毎年慰霊祭も行われるくらい。
子供のいないねこもり家は、はなとまーちゃんが亡くなると猫のお骨も可燃ごみになってしまうので、それならばみんな一緒にここに入ったほうがいいんじゃないかということになった。
火葬にはみどりちゃんもついてきて、一緒に見送った。
車のドアを閉めた瞬間、ふたり揃って嗚咽した。
まったく、ももんちめ。
10歳なんて、早く逝きすぎだコノヤロー。
このはな様が寂しいじゃねえかバカヤロー。

どっ

こい

しょ

っと。
仲良しだった3人組も、いまやこっちゃんひとりだけ。
眉毛書かせてくれる、まぬけな猫なんてお前以外にもういないよ。
寝るのは絶対はなと一緒で、真夏にだってタオルケットの中に入ってきて腕枕を要求してきたくせに。
誰かが先に入ってようものなら、追い出してでも自分の席を守ったくせに。

甘ったれなのに、それをわかってたのに。

間に合わなくてごめん。
ひとりで逝かせてごめん。
もう少しだけぴっくんとふたりで待ってて。
他の弟妹が来ないように見張ってて。
いずれみんなそっちに行くから。
その時には文句言いに出てこいよ。
心からお待ち申し上げてやるからな。
今も使っている、猫の書類をまとめているファイル。
その1番奥にある、折りたたまれた1枚の便箋。
黄色ベースにティンカーベルが描かれた、ごくごく普通の可愛らしいその便箋には、ねこもりに出てくることのなかった長男ももんちの最期のすべてが書かれている。
たった1枚に書ききれてしまうだけの最期。
時間にして、わずか2日半。
ももんちは、あまりにも急に、あまりにも壮絶に、この世を去った。
はなは覚えていることに耐えられず、走り書いた便箋に自分の記憶を託した。
忘れたふりをすることでしか、その時間をこえることができなかった。
しているつもりだった覚悟は、あまりにも甘かった。

ももんちは、うーと同腹の兄弟。
オッドアイに真っ白な毛、そして、うーよりはるかに立派な体格とはなへの愛に溢れる猫だった。

子供のころから泌尿器の病気をよくしたももんち。
結石が詰まったことも1度や2度じゃない。
体質だからしょうがないというその症状を、自動給水器での水分摂取量増加や療法食や早めの通院でだましだましやりすごしながら、腎臓や膀胱を気にする生活をずっと送っていた。
もし、大きな病気をするなら、間違いなく腎臓病だと思っていた。
それが間違いだったと気づいたのは、2013年6月23日早朝のことだった。
その日、朝までゲームをしていたはなとまーちゃんは、いつもより早い朝5時に猫達にゴハンをあげた。
みんなが普段通りゴハンを食べるのを見てから、当時寝室だった2階へ上がっていった。
なんにも変わりない、いつもの風景だった。
ゆるゆるとまどろみ始めた1時間後。
聞こえてきた声に飛び起きた。
誰かが叫んでいる。
1階にかけ下りた。
リビングの片隅に、猫の輪ができていた。
その中心で、下半身を引きずったももんちが、のたうち回りながら唸っていた。
真っ先に時間を見た。
朝6時。
やってる病院は、大病院の時間外しかない。
まーちゃんは一生懸命ももんちの背中を撫でていた。
ももんちの体に触る。
半狂乱のももんちは、腕だけでどこかへ行こうと這いずっているが、腰から下の下半身は指先ひとつ動いていない。
全身の毛穴から汗が噴き出すのがわかった。
テーブルの上に置きっぱなしだったipadで、検索をかける。
「猫」「下半身」「動かない」「のたうち回る」・・・。
目につくワードを片っ端から入れてみた。
―心筋症末期の発作―
―助からない―
―のりこえても6カ月以内に再発して100%死ぬ―
信じないといえる強さや無謀さは、はなにはなかった。
そこに書かれた症状は、あまりにも目の前のももんちに酷似していた。
ももんちは、誰も気づいてもらえないまま心筋症を抱え、進行させ、そして今、最後の発作を起こした。
抱き上げた下半身は、まるで作り物のように垂れ下がったままだった。
病院と連絡がついてキャリーを持ってくると、ももんちは上半身しか動かない体で必死にキャリーの中に入ろうとした。
今までの人生で病院に行くことが多かったももんち。
けして好きにはならないけど、この箱に入ると体を楽にしてもらえることはわかってたももんち。
それは何よりも雄弁な「助けて」というももんちの叫びだった。
病院に入ったのは、6時45分。
ももんちを先生に預けて、誰もいない診察室で検査結果を待つ。
自分の動悸が脳内に響いていた。
そこで少し、まーちゃんと話をした。
もし、治らないんであればももんちはうちに連れて帰りたい。
最期はうちで迎えさせてやりたい、と。
その時には、これがただの脱臼であるとか、ケガであるとか、そんな楽観的な可能性がもうありえないことはわかっていた。
最期をどうすべきか、焦点はそれだけだった。
何故と言われたら説明はできないけど、それくらいももんちの姿は尋常ではなかったんだと思う。
それに、もし生きられたとしても、この状態が改善しないのであれば生き地獄以外の何物でもないだろう。
数少ない選択肢の中の最善を、せめて探してあげたかった。
先生が帰ってきたとき、ももんちはもう処置室に入れられてるということで一緒ではなかった。
酸素がうまく吸えないので、酸素室に入れてもらったらしい。
はなたちは、そのまま診察室でレントゲンを見せられた。
きれいなハート型をした白いかげ。
それが、ももんちの心臓だった。
肥大性心筋症。
末期。
血栓が下半身の太い血管に飛んで詰まったことで麻痺が起きてる。
この状態まで来ていると、たとえ今回治ったとしても6カ月以内に再発して死ぬ。
説明は、すべて予想通り。
聞いているつもりでも、言葉は頭を滑っていく。
とりあえず、通常の診察時間が始まってからもう1度来てほしいといわれて、ももんちを置いて帰宅した。
車の中で、涙が止まらなかった。
午前中に1度病院から「3万円の薬を使いたい」という電話がきた。
3万円の薬は、本当に意味があるのか迷いはあったけどお願いすることにした。
その薬は、効果が出るなら、3日以内。
それを過ぎたら、もう薬は効かなかったということで、ほかに打つ手はないということになるらしい。
3日間だけの最期の賭け。
あの状態からでは…と思う気持ちに、もしかしたらが勝利した。
その後6カ月以内に再発したとしても、最後の時間を作れるかもしれない。
その誘惑に、負けた。
同日夕方。
寝ようとして失敗し、ネットをしては落ち込んだ時間を経て、もう1度病院へ向かう。
酸素室からでれないももんちと会うことはできないので、先生から話を聞くのみの面会。
状態は変わらない、薬の効果もまだ出てないと言われた。
希望の持てる話は何ひとつなかった。
こういう状態は、恐ろしいほどの激痛で、肺に水が溜まってしまった今は呼吸も苦しく、もはやいつ何が起こってもおかしくはないんだと言われた。
はながぽろりと出した安楽死の単語に「反対はしません」と言った先生を見て、それがもうひとつの選択肢として存在してることを知った。
帰りの車で、また泣いた。
日付が変わった2013年6月24日。
うつらうつらするだけで、結局眠ることはできなかった。
入院患畜の状態を電話で確認できるのが午後1時からなので、1分前から携帯をスタンバイして電話をした。
先生は、相変わらず言いにくそうに変化なし、と教えてくれた。
足は相変わらず動かない。
苦しそうに酸素室のすみで小さくなっている、と。
もう、はなの頭は、連れ帰るという選択肢でいっぱいだった。
家に連れて帰りたいと、直訴した。
わずかな命だとしても、あの子が生きてきた家で死なせてやりたいと。
そのためにはどうすればいいのか教えてくれと頼んだ。
先生は、最低でも酸素室が必要だと言った。
自発呼吸さえ怪しい状態で、通常の酸素濃度の世界に出せば、すぐ息ができなくなってしまう。
病院ではICUで酸素室に入ってるが、それに代わるものが必要だと。
とりあえず、薬の期限の3日まではあと1日あるから、また明日の状態を見て決めましょうと電話は終わった。
電話を切ったその手で、はなは酸素室をレンタルしている業者に連絡した。
昨日から、めぼしはつけていたところだ。
もう明日状況を確認次第いつでも動けるようにしておきたい。
レンタル業者さんは、事情を話すと、その日の夕方に届けてくれた。
この時の親切なおっさんは、その後ぴっくんの時にもうちに来てくれて、世話になることになる。
世の中は案外狭い。
その夜。
まともに寝てない状態が続いて朦朧としている自覚はあったが、何度もももんちの幻覚を見た。
病院も、何かあったら夜中でも連絡するといってくれてはいたが、ももんちの幻想を見るたび、霊になって会いに来てくれたのかと跳ね起きた。
霊になって会いに来てくれたももんちを絶対に見逃すものかと思っていた。
この頃、もう、ももんちが死んでしまうんだという事実は、自分の中に確固たる現実になっていたんだと思う。
今更後悔しても、ももんちの心臓は戻らない。
ここに至るまでにきっと幾日も幾月も幾年も時間はあったのに。
誰も気づかなかった。
はなも気づかなかった。
だから今、ももんちは死にかけている。
受け取る相手のない謝罪を何度もつぶやいては泣いた。
明日、ももんちを連れて帰ろう。
酸素室は用意した。
酸素室を冷やすアイスノンも大量に凍ってる。
家でどれだけ生きられるかわからない。
1日かもしれないし、1時間かもしれない。
それでも、あの甘ったれはきっと家に帰りたいと思ってる。
はなが生きてるあいつに会いたいと思ってる。
神様、あと1日でいいから、ももんちに時間をください。
2013年6月25日。
午後1時を待って病院にかけるも、先生が診察中とのことで折り返しを待つ。
その時点ではなの準備は万端。
あと鍵さえしめれば出かけられる状態で、連れ帰るシミュレーションをして時間をつぶす。
気持ちは、早くももんちに会いたい思いで溢れていた。
電話がかかってきたのは午後1時半。
先生は、状態がよくないことと薬はダメだったことと1度来院してほしいことをはなに告げた。
はなは、そのままももんちを連れて帰りたいと答えた。
酸素室はもう用意している。
部屋も冷やしてあるし、アイスノンも凍ってる。
私自身今すぐ出れる、と伝えると、じゃあそのまま1度来院して下さい、という話になった。
病院までは車で30分かからない程度。
いるかどうかわからないが、2度手間になるのは嫌なのでキャリーを持って、はなは家を出た。
同日午後1時45分。
運転中のはなの携帯電話が鳴った。
着信者を見て、全身がすべてを悟った。
「ももちゃんの容体が急変しました。できるだけ急いで病院に来てください」
同日午後1時50分。
病院到着。
自動ドアさえ待ちきれず受付に駆け込んだ。
はなが受付嬢に名乗っている奥で、先生に運ばれていく白い体が見えた。
待ってた間は、わずか5分程度だと思う。
でも、奥歯が震え、指先が震え、握る自分の手が温度を失っていた。
こらえた涙が、鼻の奥で痛みに変わった。
呼ばれて入った診察室では、真っ白い毛を真っ赤に染めたももんちが、仰向けで呼吸器を取り付けられ心臓マッサージを受けていた。
さっき突然急変した。
今は目も見えない、自発呼吸もできない。
でも耳はもしかして聞こえてるかもしれない。
一生懸命心臓マッサージを続けながらつないでくれる先生の言葉に返事はできなかった。
薄く開いたももんちの目は、もうどこも見ていない。
口の周りは血まみれだ。
先生の白衣も、天井にも、その赤は飛んでいた。
2日間会わなかっただけなのに、痩せたとわかる。
近づいて触れると、その体はもう少しかたくなりかけてる気がした。
柔らかい毛の下の体は、いままさに死にゆく者の体だった。
「ももんち、遅くなってごめんね。
迎えに来たよ。
お家に帰ろう」
聞こえていたらいいなと思った。
そっと離れて、頭を下げた。
「先生、もういいです。ありがとうございました」
最後は、声にならなかった。
30分後霊安室にて。
血をきれいに拭いてもらって、可愛い段ボール棺桶に入れてもらったももんちと、改めてご対面。
点滴跡やエコーの跡、体のそこら中に戦った名残があった。
どんどん体温のなくなる背中を撫でていたら、思わずこぼれた言葉。
「ごめんね」
何が正解だっただろう。
はなはどうすればよかったんだろう。
涙の理由に後悔の割合が多くて、痛い。
帰宅後。
一晩ももんちと一緒に過ごして、次の日火葬しに行くと決めた。
徐々に死後硬直していく体を、タオルにくるんでずっと抱きしめた。
この体が明日永遠になくなるとか悪い冗談なんじゃないかと往生際の悪いことを思ったりした。
涙は、一晩泣いても枯れてはくれなかった。
まーちゃんと決めたのは、共同墓地に埋葬すること。
幸いうちの町は、動物用の共同墓地がしっかりしていて、毎年慰霊祭も行われるくらい。
子供のいないねこもり家は、はなとまーちゃんが亡くなると猫のお骨も可燃ごみになってしまうので、それならばみんな一緒にここに入ったほうがいいんじゃないかということになった。
火葬にはみどりちゃんもついてきて、一緒に見送った。
車のドアを閉めた瞬間、ふたり揃って嗚咽した。
まったく、ももんちめ。
10歳なんて、早く逝きすぎだコノヤロー。
このはな様が寂しいじゃねえかバカヤロー。

どっ

こい

しょ

っと。
仲良しだった3人組も、いまやこっちゃんひとりだけ。
眉毛書かせてくれる、まぬけな猫なんてお前以外にもういないよ。
寝るのは絶対はなと一緒で、真夏にだってタオルケットの中に入ってきて腕枕を要求してきたくせに。
誰かが先に入ってようものなら、追い出してでも自分の席を守ったくせに。

甘ったれなのに、それをわかってたのに。

間に合わなくてごめん。
ひとりで逝かせてごめん。
もう少しだけぴっくんとふたりで待ってて。
他の弟妹が来ないように見張ってて。
いずれみんなそっちに行くから。
その時には文句言いに出てこいよ。
心からお待ち申し上げてやるからな。
コメント
コメント一覧 (25)
気持ちが落ち着いたらまた後で(TT)
はなさんとまーさんの家族であったこと。
幸せであったこと。
忘れないでいます。
涙涙涙
くまです。
いつも楽しく拝見させてもらってます。
こっちゃん、れんね嬢の大ファンです。
うちにも、12歳の慢性腎不全歴7年のかわい子ちゃんがいます。
何かある度に、自分の判断が間違ってたんじゃないかって後悔しながら病気と闘ってます。
毎回、はなさんの後悔しながら前を向いてみんなのお世話してるの見て元気もらいます。
ももんちの壮絶闘病見て思わずコメントさせてもらいました。
最後の時を後悔しないように、頑張ります。
自分の記憶とかなり被る部分が多くて。
うちの掛かり付けの獣医さんが「どうやったって後悔は残る」と言ってました。獣医でもそうなんだから、我々素人は言わずもがな…。
辛すぎてもう飼うまいと思ってたのに、あの子を失った丁度ぴったり6年後に迷いこんできた柄も性別も性格も全く違う子と、今は暮らしています。あの子の命日に現れたこの子を最初は「生まれ変わりかも」なんて思ったけど、今は断言できる。「全く違う個体だ」と。
あの子がわざと手のかかる子を送り込んで、てんてこ舞いの我々を上空から見おろして抱腹絶倒してる可能性は十分にあるが。
我々の至上命題は、神様が呼び戻すのを全力で阻止すること。ねこもり家は大家族だし治療中の子もいて大変とは思いますが、共に「神様とは言えそう簡単に連れてかれて堪るか」精神で全力で抵抗して行きましょう。
我が家では治る見込みがなく、苦しむだけなら安楽死を選ぼうと決めています。
ただ、実際その場に立った時に選べるかどうかはわかりませんが…。
しばらく前からブログを拝見させて貰ってました。
家も現在9匹居て勝手な親近感から毎日のように見ていました。
今年の1月2日に1匹、お空に行ってしまいました。
それも突然に。
朝、ごはんも完食し、冬の恒例の湯たんぽもし、違う子のお世話をしていた時
突然、大きな、鈍い音がしたので見に行ったら
その子が横たわり痙攣していました…
ただ抱えて、名前を呼ぶことしか出来ず…
ものの数分で息が止まってしまいました…
病院も開いてないし、行けたとしても間に合わなかったと思います。
その子も何度も結晶が出来、病院にお世話になったことか…ももんちさんとかぶってしまいました…
幸い、家の子はその日に綺麗な状態で火葬して貰えました。
業者さんを探して電話するのも声が震えてしまい
その子の名前を聞かれた瞬間、声が詰まってしまった事、鮮明に覚えています。
私の希望で、皆と離れないように、安心できる場所に居て貰いたく、個別火葬で遺骨も持ち帰りました。
今、ペットに対する医療も発達して出来る選択肢も増える分、後悔もでかくなるのかなって思ってます。
後には自分たちも行く道。
はなさんの言うように、もう少しだけ待ってての気持ち、物凄く共感できます。
なるべく長く、阻止するのは下僕の使命ですからね。
その度ねこもり。ファンの皆さんのはなさんへのあたたかいコメントに心揺れ揺れの涙腺崩壊で。。。
ももんちの最期はうちのあんずやももちゃんの時を思い出して(てか、忘れることはない(泣))。。。
言葉を交わせない分どんなに見張ってても見落としたりして、あんずの時は手遅れ、ももちゃんも分かりやすく体調を崩すまで油断してて。。。
涙が枯れることも後悔や寂しさが消えることもないけど、はなさんの言うように私たちも必ずいつかそっちに行くから虹の橋は信じてないけど、どこでもいいから待ってて欲しい(TT)
くま(犬)もあんずもくろもそしてももちゃんも。
そっちでぴっくんたちと仲良くなってたりして♪なんて勝手に想像したりして、日々あたふたごろごろ過ごしてる飼い主を上から見ててよ☆
まだまだ送らないけどそのうちさくらも行くと思うからくれぐれも苛めないように(笑)
ちなみに。。。
うーちゃんの本名が「うめ」ちゃんてことは、ももんちの本名はもしや「もも」?
だとしたら「梅」に「桃」?
(自分のことは棚に上げて↑)いいね!そのネーミングセンス♥
今は誰よりもでかいちーちゃんが「ちび」
うん、未来は誰にもわからない(笑)けど、上で待ってるあのこ達に恥ずかしくない生き方と死に方をしよう。
いつかまた逢える日を楽しみに生きよう。
はなさん。辛くて悲しい記憶を教えてくれてありがとう(T^T)
↑はまたまた匿名はるでした(笑)
ありがとうございます。
今となっては、写真の少なさが悲しいばかりで、もっと撮っておけばよかったなと後悔しきりです。
ちー並みに面白いタイプだったので、ブログであほな姿を山ほど書いてやりたかったな。
こんな悲しい記事でしかブログの中で生かしてやれないのが残念です。
くまさん
12歳の慢性腎不全歴7年のかわい子ちゃんですか。
7年はすごいですね!
でも5歳からって考えると、猫ちゃんもくまさんもご苦労ははかりしれないレベルですね。
はなは、後悔ばっかです。
「もし」「たら」「れば」言い出したらきりのないことばっか、いまだに考えて泣いて酒あおってます。
自分ではない相手の最善を考えるのは、相手が人じゃなくても難問ですね。
どうか、くまさんちのカワイコちゃんが日々穏やかに、いつか迎える最期も穏やかにあることを祈ってます。
ちーといさん
「どうやったって後悔は残る」
いやもう、まっことそのとおり。
選択肢がひとつじゃないならもちろん、選ぶほど道がなくたって過去をほじくり返してするのが後悔。
誰かの人生に、100%満足させた道をつくれましたなんて言えるほうがおかしいんだけどね。
ほんと、矛盾した感情だと思う。
新人ちゃんは、やんちゃですかそうですか。笑
あれは不思議なもので、後に入ってくるにつれ猫がおばかなやんちゃになっていく気がするのは気のせいかしら。
お互い、全力抵抗、やったりましょう。
エイトニャンさん
あまりに短くて、といったらいい訳だなと我ながら思うけど。
安楽死、あまりに急だと選べなかったわ。
選択肢としてはいつも頭の片隅にあるけど、今だというジャッジはまた別ものだった・・・。
アイアム チキン。
そしてたぶん、ユーアー チキン。笑
生きててほしいと思う気持ちって、やっぱりなかなか消せないらしい。
まぁさん
こちらこそはじめまして。
年明け早々、つらい思いをされたんですね。
お察しします。
痙攣してわずか数分。
下僕サイドの感情はまったく整理される間もないですが、猫ちゃんにとっては、苦痛が短いことは幸いだったのかもしれませんね。
はなも、無駄に管つなげた延命を思うわけじゃないんです。
少しでも楽に、少しでも痛みをなくして、もしどうしても苦しいのなら生きることをあきらめてしまっても全然かまわない。
でも、生きててほしい。
矛盾してるとわかってても、自分以外の大切な相手には、たぶん誰もが似たような感情を持つのでしょうね。
お骨にしておうちにつれて帰ってもらえて、まぁさんちの猫ちゃんは幸せ者ですね。
一緒に、一生下僕で頑張りましょうね。笑
匿名さん
いやもうすぐわかったけど、あえて匿名さんでいくわ。笑
亡くなった記憶って、ものすごい衝撃で刻まれて、楽しかったこととかだんだん思い出せること減っていくのに、それだけは絶対忘れない。
それくらい出来事に力があると思う。
忘れたいけど、忘れていくことにも罪悪感があって。
むつかしいなあって思うよ。
あと、すごいいい話なのに、いっつも「くま(犬)」で笑うよ。
白猫兄弟は、そのまま「うめ」「もも」です。
だから、最初もも様の名前聞いたときは、ちょっとびっくりした。笑
ちなみに、ふたりの名づけの理由は忘れたけど、ぴっくんだけは、まーちゃんが名古屋グランパスのストイコビッチの愛称ピクシーからとったというのを覚えてる。
ネーミングセンスはその当時からない。笑
はなも、虹の橋うんぬんはちょっと信じてはいないけど、死んだ先の世界で会えたらいいなっていう希望くらいは持っててもいいんじゃないかと思って日々過ごしてます。
幸せな未来予想図(希望)です。
去年の12月16日にたまたま受けた健康診断で心筋症が発覚してもうほぼ末期と言われました。胸水も溜まって心臓の動きもとてつもなく悪いと。
1月23日の朝すごい鳴き声をあげて三回吐いて叫んで倒れてグッタリしてしまいました。呼吸も速く急いで病院に連れていったところ胸水が溜まったのもあるし心臓が全然動いておらず低体温、低血圧で循環不全に陥ったと言われました。もう死んでもおかしくなかったとも言われたました。相当苦しかったのか左右の瞳孔の大きさが長くなってしまいました。
昨日の夜からついにご飯の匂いを嗅ぐと気持ち悪そうにするようになってしまいもうきっと数日の命です。
ももんちちゃんの記事を見て号泣しました。前にも読んで号泣しました。2度目です。笑
心筋症は本当に健康診断などを受けないと分からない病気なので恐ろしいですよね。
何を書いていいのかわからなくなってしまいました、、、笑
猫ちゃんはまだ頑張っているでしょうか。
もし、書くことで落ち着くのであれば、コメント欄などどうぞお好きに使ってください。
私が心筋症というフレーズを知ったのは、恥ずかしながらももんちが倒れた30分後、症状を検索して出てきたのが最初でした。
こんなにどうしようもない病気があること自体知りませんでした。
きちんと病院に連れてってもらって処置してもらって、ゆんさんの猫ちゃんは幸せですね。
猫ちゃんも、死んでもおかしくなかったのに三途の川手前で踏ん張るなんて。
ゆんさん、すごく愛されちゃってますね。
私も、そんなに遠くない未来にまた別れを経験します。
たぶん逃げられない現実です。
それを考えるだけで、泣けてきます。
逝ってしまった子を思っても、まだ涙はこぼれます。
なのに、今その渦中にいるゆんさんの痛みはどれほどか。
戦ってる猫ちゃんの苦しみはいかばかりか。
私は無力で何もできません。
だから、せめてその苦しみが少しでも楽になるよう、岐阜の山奥から一生懸命願います。
どうか、悔いのない最期を、迎えてください。
症状が出ないと本当に分からないですよね。私の家の猫はとらって言うんですけど一年ほど前から乾いた咳みたいな発作をよくしていて調べればよかったと後悔ばかりです。ベッドにもおしっこをするようになってそれもきっと病気のサインだったのかもしれません。
なんでうちの子が病気なんだろうって本当に思いますよね。
本当は今日病院に連れて行く予定でしたが行くのをやめました。薬もどこにそんな力が残ってるのってくらい嫌がるそうです。
とらが「もういいよお薬も病院も。家にいたいよ」って言ってる気がしました。これが正しいのか分からないですが、、
もう酸素と薬で生きているようなもんだったから。すごく寂しいしまだ8歳なのに早すぎるって思います… これからとらに会ってきます…。
まとまりなくてすみません。
胸水250mlを抜きもうあと3日と余命宣告されました。残りの時間を大切に過ごしたいとおもいます。
お辛いですね。
読んでるだけでやり場のない感情が飲み込みきれません。
でも、とらちゃんはきっと、大好きなゆんさんが迷いに迷って選んだ選択肢に不満なんてないですよ。
3日間が、どうか幸せなものであるよう祈ってます。
それでも。分かっていても
何かをどこかで願ってる。
わかってるのに
きなこちゃん、かな。
あなたを思うママの気持ちがどうかどうか届きますように。
私に起こらなかった奇跡が、あなたとあなたの猫に起こりますように。
陰ながら祈らせてください。
子供時代の猫も一匹、足が動かなくなり
2日で亡くなりました。
当時の獣医は心筋症からの血栓とは言いませんでしたが、症状は同じです。
何をしても後悔が残る。
その通りですね。
延命はしないと決めたのに医者に三回行き
往診も一回来てもらった今、私の手を恐れたりするようになり、後悔でいっぱいです。
どんなに自分が辛くとも、神様の決めた運命に
従おうと思ってます
毎日変わる様態の変化、はじめてお帰りなさいを
してくれなかった寂しさで、当たり前だと思っていたことが、当たり前でなかったこと
そんな事を思い知らされています。
今になって毎日写真撮ってる状態です。
猫様のご冥福お祈りします。
お辛いですよね。
それでも、そんなに想ってくれるすぎ姉御とさんに愛された猫ちゃんは幸せな子だなと思います。
どうか後悔の少ない日々になりますよう、陰ながら願っています。
私もももんちが亡くなった時はずいぶん長いこと泣いていた気がします。
返事を返すのが遅くなってしまいましたが、元気になられたでしょうか。
1カ月くらいでは愛猫を失った心の傷は癒えないと思いますが、一緒にいて楽しくてうれしくて幸せだった日々をたくさん思い出せる日が早く来るよう祈っています。
私達も子供の居ない夫婦で、猫2人と暮らしています。猫はきみまろ、レオンと言います。
レオンは妻の実家に居た猫で、きみまろは実家で飼っていた猫を忘れられない妻が出会った子です。
3/19の早朝、きみまろが突然ハッハッと苦しそうにしているのを妻が発見して救急へ。
ももんちちゃんと同じ肥大型心筋症でした。
肺水腫で呼吸困難状態ですが、血栓などによる麻痺はまだ出ていません。
それでもはなさんの記録を見ていて涙が止まらなくて苦しく、自分勝手ですがコメント書かせて頂きました。
3/22の現在、きみまろは何とか大きな山場は乗り越え利尿剤も一時は不要になりましたが、今日の午後から容体が変わり再び利尿剤投与しています。
なんでもっと早く気づけなかったのかという気持ちと、きみまろの為にこれからどうするのが正解かという事が頭をぐるぐる回っています。
記録を読ませて頂き、最後を一緒に過ごす選択肢もある事を知る事が出来ました。改めて覚悟をする事が出来ました。
有難う御座います。
長々と失礼致しました。
きみまろくんはまだ頑張っていますでしょうか。
心筋症をはじめて知った時、なんて救いのない病気なんだろうと思いました。
今でもその気持ちは変わっていません。
ある日突然大切な日常が奪われるのは、身を裂かれるほど悲しいです。
この厳しい病の中一度回復できたのは、きみまろくんの意思があったんだろうなと思います。
優しくて強い猫ちゃんだったんですね。
ほんとに私もひどくなるまで気づいてやれなかったこと後悔してます。覚悟して今できることをしてあげようと。考えてます。
無事におうちに帰れたでしょうか。
こういうことを言うのは失礼かもしれませんが、亡くなる選択しかないのなら少しでも飼い猫の望む形にしてあげたいと思うのが飼い主さんの心情だと思います。
間に合いませんでしたが私もそうでした。
せめて家に連れ帰ってやれたらよかったのにと今でも悔いることがあります。
どうか、残された時間が桜ちゃんにもさくらさんにも優しいものであるよう、願っています。