はなにとっての古い思い出話です。亡くなるまでの記録なので、苦手な方は【閲覧注意】。


今も使っている、猫の書類をまとめているファイル。
その1番奥にある、折りたたまれた1枚の便箋。
黄色ベースにティンカーベルが描かれた、ごくごく普通の可愛らしいその便箋には、ねこもりに出てくることのなかった長男ももんちの最期のすべてが書かれている。


たった1枚に書ききれてしまうだけの最期。
時間にして、わずか2日半。
ももんちは、あまりにも急に、あまりにも壮絶に、この世を去った。


はなは覚えていることに耐えられず、走り書いた便箋に自分の記憶を託した。
忘れたふりをすることでしか、その時間をこえることができなかった。
しているつもりだった覚悟は、あまりにも甘かった。


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ももんちは、うーと同腹の兄弟。
オッドアイに真っ白な毛、そして、うーよりはるかに立派な体格とはなへの愛に溢れる猫だった。
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子供のころから泌尿器の病気をよくしたももんち。
結石が詰まったことも1度や2度じゃない。
体質だからしょうがないというその症状を、自動給水器での水分摂取量増加や療法食や早めの通院でだましだましやりすごしながら、腎臓や膀胱を気にする生活をずっと送っていた。
もし、大きな病気をするなら、間違いなく腎臓病だと思っていた。


それが間違いだったと気づいたのは、2013年6月23日早朝のことだった。


その日、朝までゲームをしていたはなとまーちゃんは、いつもより早い朝5時に猫達にゴハンをあげた。
みんなが普段通りゴハンを食べるのを見てから、当時寝室だった2階へ上がっていった。
なんにも変わりない、いつもの風景だった。


ゆるゆるとまどろみ始めた1時間後。
聞こえてきた声に飛び起きた。


誰かが叫んでいる。


1階にかけ下りた。
リビングの片隅に、猫の輪ができていた。
その中心で、下半身を引きずったももんちが、のたうち回りながら唸っていた。


真っ先に時間を見た。
朝6時。
やってる病院は、大病院の時間外しかない。
まーちゃんは一生懸命ももんちの背中を撫でていた。


ももんちの体に触る。
半狂乱のももんちは、腕だけでどこかへ行こうと這いずっているが、腰から下の下半身は指先ひとつ動いていない。
全身の毛穴から汗が噴き出すのがわかった。


テーブルの上に置きっぱなしだったipadで、検索をかける。
「猫」「下半身」「動かない」「のたうち回る」・・・。
目につくワードを片っ端から入れてみた。


 ―心筋症末期の発作―
 ―助からない―
 ―のりこえても6カ月以内に再発して100%死ぬ―


信じないといえる強さや無謀さは、はなにはなかった。
そこに書かれた症状は、あまりにも目の前のももんちに酷似していた。
ももんちは、誰も気づいてもらえないまま心筋症を抱え、進行させ、そして今、最後の発作を起こした。
抱き上げた下半身は、まるで作り物のように垂れ下がったままだった。


病院と連絡がついてキャリーを持ってくると、ももんちは上半身しか動かない体で必死にキャリーの中に入ろうとした。
今までの人生で病院に行くことが多かったももんち。
けして好きにはならないけど、この箱に入ると体を楽にしてもらえることはわかってたももんち。
それは何よりも雄弁な「助けて」というももんちの叫びだった。


病院に入ったのは、6時45分。
ももんちを先生に預けて、誰もいない診察室で検査結果を待つ。
自分の動悸が脳内に響いていた。


そこで少し、まーちゃんと話をした。
もし、治らないんであればももんちはうちに連れて帰りたい。
最期はうちで迎えさせてやりたい、と。


その時には、これがただの脱臼であるとか、ケガであるとか、そんな楽観的な可能性がもうありえないことはわかっていた。
最期をどうすべきか、焦点はそれだけだった。
何故と言われたら説明はできないけど、それくらいももんちの姿は尋常ではなかったんだと思う。
それに、もし生きられたとしても、この状態が改善しないのであれば生き地獄以外の何物でもないだろう。
数少ない選択肢の中の最善を、せめて探してあげたかった。


先生が帰ってきたとき、ももんちはもう処置室に入れられてるということで一緒ではなかった。
酸素がうまく吸えないので、酸素室に入れてもらったらしい。
はなたちは、そのまま診察室でレントゲンを見せられた。


きれいなハート型をした白いかげ。
それが、ももんちの心臓だった。


肥大性心筋症。
末期。
血栓が下半身の太い血管に飛んで詰まったことで麻痺が起きてる。
この状態まで来ていると、たとえ今回治ったとしても6カ月以内に再発して死ぬ。
説明は、すべて予想通り。
聞いているつもりでも、言葉は頭を滑っていく。


とりあえず、通常の診察時間が始まってからもう1度来てほしいといわれて、ももんちを置いて帰宅した。
車の中で、涙が止まらなかった。


午前中に1度病院から「3万円の薬を使いたい」という電話がきた。
3万円の薬は、本当に意味があるのか迷いはあったけどお願いすることにした。
その薬は、効果が出るなら、3日以内。
それを過ぎたら、もう薬は効かなかったということで、ほかに打つ手はないということになるらしい。


3日間だけの最期の賭け。
あの状態からでは…と思う気持ちに、もしかしたらが勝利した。
その後6カ月以内に再発したとしても、最後の時間を作れるかもしれない。
その誘惑に、負けた。


同日夕方。
寝ようとして失敗し、ネットをしては落ち込んだ時間を経て、もう1度病院へ向かう。
酸素室からでれないももんちと会うことはできないので、先生から話を聞くのみの面会。


状態は変わらない、薬の効果もまだ出てないと言われた。
希望の持てる話は何ひとつなかった。


こういう状態は、恐ろしいほどの激痛で、肺に水が溜まってしまった今は呼吸も苦しく、もはやいつ何が起こってもおかしくはないんだと言われた。
はながぽろりと出した安楽死の単語に「反対はしません」と言った先生を見て、それがもうひとつの選択肢として存在してることを知った。
帰りの車で、また泣いた。


日付が変わった2013年6月24日。
うつらうつらするだけで、結局眠ることはできなかった。
入院患畜の状態を電話で確認できるのが午後1時からなので、1分前から携帯をスタンバイして電話をした。


先生は、相変わらず言いにくそうに変化なし、と教えてくれた。
足は相変わらず動かない。
苦しそうに酸素室のすみで小さくなっている、と。


もう、はなの頭は、連れ帰るという選択肢でいっぱいだった。


家に連れて帰りたいと、直訴した。
わずかな命だとしても、あの子が生きてきた家で死なせてやりたいと。
そのためにはどうすればいいのか教えてくれと頼んだ。


先生は、最低でも酸素室が必要だと言った。
自発呼吸さえ怪しい状態で、通常の酸素濃度の世界に出せば、すぐ息ができなくなってしまう。
病院ではICUで酸素室に入ってるが、それに代わるものが必要だと。
とりあえず、薬の期限の3日まではあと1日あるから、また明日の状態を見て決めましょうと電話は終わった。


電話を切ったその手で、はなは酸素室をレンタルしている業者に連絡した。
昨日から、めぼしはつけていたところだ。
もう明日状況を確認次第いつでも動けるようにしておきたい。


レンタル業者さんは、事情を話すと、その日の夕方に届けてくれた。
この時の親切なおっさんは、その後ぴっくんの時にもうちに来てくれて、世話になることになる。
世の中は案外狭い。


その夜。
まともに寝てない状態が続いて朦朧としている自覚はあったが、何度もももんちの幻覚を見た。
病院も、何かあったら夜中でも連絡するといってくれてはいたが、ももんちの幻想を見るたび、霊になって会いに来てくれたのかと跳ね起きた。
霊になって会いに来てくれたももんちを絶対に見逃すものかと思っていた。


この頃、もう、ももんちが死んでしまうんだという事実は、自分の中に確固たる現実になっていたんだと思う。
今更後悔しても、ももんちの心臓は戻らない。
ここに至るまでにきっと幾日も幾月も幾年も時間はあったのに。
誰も気づかなかった。
はなも気づかなかった。
だから今、ももんちは死にかけている。


受け取る相手のない謝罪を何度もつぶやいては泣いた。


明日、ももんちを連れて帰ろう。
酸素室は用意した。
酸素室を冷やすアイスノンも大量に凍ってる。


家でどれだけ生きられるかわからない。
1日かもしれないし、1時間かもしれない。
それでも、あの甘ったれはきっと家に帰りたいと思ってる。
はなが生きてるあいつに会いたいと思ってる。


神様、あと1日でいいから、ももんちに時間をください。


2013年6月25日。
午後1時を待って病院にかけるも、先生が診察中とのことで折り返しを待つ。
その時点ではなの準備は万端。
あと鍵さえしめれば出かけられる状態で、連れ帰るシミュレーションをして時間をつぶす。
気持ちは、早くももんちに会いたい思いで溢れていた。


電話がかかってきたのは午後1時半。
先生は、状態がよくないことと薬はダメだったことと1度来院してほしいことをはなに告げた。
はなは、そのままももんちを連れて帰りたいと答えた。


酸素室はもう用意している。
部屋も冷やしてあるし、アイスノンも凍ってる。
私自身今すぐ出れる、と伝えると、じゃあそのまま1度来院して下さい、という話になった。


病院までは車で30分かからない程度。
いるかどうかわからないが、2度手間になるのは嫌なのでキャリーを持って、はなは家を出た。


同日午後1時45分。
運転中のはなの携帯電話が鳴った。
着信者を見て、全身がすべてを悟った。


「ももちゃんの容体が急変しました。できるだけ急いで病院に来てください」


同日午後1時50分。
病院到着。
自動ドアさえ待ちきれず受付に駆け込んだ。
はなが受付嬢に名乗っている奥で、先生に運ばれていく白い体が見えた。


待ってた間は、わずか5分程度だと思う。
でも、奥歯が震え、指先が震え、握る自分の手が温度を失っていた。
こらえた涙が、鼻の奥で痛みに変わった。


呼ばれて入った診察室では、真っ白い毛を真っ赤に染めたももんちが、仰向けで呼吸器を取り付けられ心臓マッサージを受けていた。
さっき突然急変した。
今は目も見えない、自発呼吸もできない。
でも耳はもしかして聞こえてるかもしれない。
一生懸命心臓マッサージを続けながらつないでくれる先生の言葉に返事はできなかった。


薄く開いたももんちの目は、もうどこも見ていない。
口の周りは血まみれだ。
先生の白衣も、天井にも、その赤は飛んでいた。


2日間会わなかっただけなのに、痩せたとわかる。
近づいて触れると、その体はもう少しかたくなりかけてる気がした。
柔らかい毛の下の体は、いままさに死にゆく者の体だった。


「ももんち、遅くなってごめんね。
 迎えに来たよ。
 お家に帰ろう」
聞こえていたらいいなと思った。


そっと離れて、頭を下げた。
「先生、もういいです。ありがとうございました」
最後は、声にならなかった。


30分後霊安室にて。
血をきれいに拭いてもらって、可愛い段ボール棺桶に入れてもらったももんちと、改めてご対面。
点滴跡やエコーの跡、体のそこら中に戦った名残があった。
どんどん体温のなくなる背中を撫でていたら、思わずこぼれた言葉。


「ごめんね」


何が正解だっただろう。
はなはどうすればよかったんだろう。
涙の理由に後悔の割合が多くて、痛い。


帰宅後。
一晩ももんちと一緒に過ごして、次の日火葬しに行くと決めた。
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徐々に死後硬直していく体を、タオルにくるんでずっと抱きしめた。
この体が明日永遠になくなるとか悪い冗談なんじゃないかと往生際の悪いことを思ったりした。
涙は、一晩泣いても枯れてはくれなかった。


まーちゃんと決めたのは、共同墓地に埋葬すること。
幸いうちの町は、動物用の共同墓地がしっかりしていて、毎年慰霊祭も行われるくらい。
子供のいないねこもり家は、はなとまーちゃんが亡くなると猫のお骨も可燃ごみになってしまうので、それならばみんな一緒にここに入ったほうがいいんじゃないかということになった。


火葬にはみどりちゃんもついてきて、一緒に見送った。
車のドアを閉めた瞬間、ふたり揃って嗚咽した。


まったく、ももんちめ。
10歳なんて、早く逝きすぎだコノヤロー。
このはな様が寂しいじゃねえかバカヤロー。
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どっ
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こい
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しょ
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っと。


仲良しだった3人組も、いまやこっちゃんひとりだけ。
眉毛書かせてくれる、まぬけな猫なんてお前以外にもういないよ。


寝るのは絶対はなと一緒で、真夏にだってタオルケットの中に入ってきて腕枕を要求してきたくせに。
誰かが先に入ってようものなら、追い出してでも自分の席を守ったくせに。
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甘ったれなのに、それをわかってたのに。
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間に合わなくてごめん。
ひとりで逝かせてごめん。


もう少しだけぴっくんとふたりで待ってて。
他の弟妹が来ないように見張ってて。


いずれみんなそっちに行くから。
その時には文句言いに出てこいよ。
心からお待ち申し上げてやるからな。